Monday, July 26, 2010

50年代とロックンロールの誕生-WLAC リトル・リチャード

 ロックンロールの誕生- 戦争が終わった50年代には、アメリカ大衆は戦争による邪魔がなくなり、陽気な雰囲気に戻っていた。しかし、親の世代の音楽を聞き飽きたアメリカの若者は何か新しいものを探していた。そして彼らはすぐにロックンロールとして新しいジャンルの音楽を見つけ出したのである。黒人のミュージシャンは彼らが演奏していたR&Bを少し手直しし、白人の観衆はその音楽に熱狂的になった。ニューオリンズは新しい音楽誕生のキーとなったのである。


白人のティーネイジャー達はWLACのようなラジオ局からこの音楽を聞き始めた。テネシーにあったWLACはもともと黒人の娯楽として始まったラジオだったが、そのうちに白人の10代の若者も聞くようになっていった。WLACではインストルメンタルで成功したチャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、レイ・チャールズや他にもリトル・リチャードのようなミュージシャンの音楽を流していた。私はよくこの時代のラジオと今日のポッドキャストブームが似ていると感じる。--独立したラジオのパーソナリティや独立したアーティストから、独立したリスナー(観衆)への紹介など。


リトル・リチャード- もともとはジョージア州出身で、1955年に彼の最初のヒット曲「トゥッティ・フルッティ」はスペシャルティ・レコーズからリリースされた。(これはファッツ・ドミノのバンドを使ってニューオリンズでレコーディングされた。)他にも「ルシール(Lucille)」「ロング・トール・サリー(Long Tall Sally)」や「グッド・ゴリー、ミス・モリー(Good Golly, Miss Molly)」などのヒット曲がある。彼は、黒人のアーティストが当時は白人しか入れなかった場所で人種が入り混じって彼の演奏を聞くことを可能にした。(当時はそれをたくさんの人が非難したが)彼が人気絶頂のときの1957年、彼は自分の信じる宗教を見つけ、それからは宗教に関係のない音楽をプレイすることをやめたが、1963年にまたもう一度ロック歌手として戻ってきた。面白いことに、ジミ・ヘンドリックスは1964年にリトル・リチャードのバンドでギタリストとしてのキャリアをスタートさせ、彼は後に「僕はリトル・リチャードが彼の声でそうしたように、僕も自分のギターをしたいんだ」と話している。リトル・リチャードは彼自身を「ロックンロールの設計者」と位置づけており、実際それは事実に近い表現だった。彼は、マイケル・ジャクソン、ミック・ジャガー、ポール・マッカートニーを含むたくさんのミュージシャンの憧れの存在だった。

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