Tuesday, July 27, 2010

サンレコード、サム・フィリップス、メンフィスとエルビス

サンレコード- ファッツ・ドミノとリトル・リチャードがニューオリンズでロックを始めた頃、その少し北、テネシー州のミシシッピ川の辺り、メンフィスで事は起こっていた。すでに黒人アーティスト(B.B.キングやハウリン・ウルフ等)のレコーディングを自身のスタジオで(メンフィス・レコーディング・サービス)行っていたサム・フィリップスは、ブラックミュージックを歌える白人のアーティストを探していた。フィリップスはすでに、偉大と言われるロックンロールの曲、(最初のロックンロールと評される)「ロケット88」をシカゴのチェスレーベルから1951年にリリースしていた。その後、新しくサンレコードというレーベルを設立し、ここの会社からはすぐにジェニー・キャッシュ、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンズ、ロイ・オービソンなどを含むスーパースターが輩出される。


エルビス・プレスリー・・・エルビスは1953年から1954年の間にサム・フィリップスのスタジオで何枚かレコードを出した。サムは10代のミュージシャンを探していたが、エルビスが40年代の曲「ザッツ・オーライ」をレコーディングするまで、彼がほしいと思う人材はなかなか見つけられなかった。彼は「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」をカバーし、それが地元のラジオを通し大きな影響を与えた。今想像するのは難しいが、この時白人の観客にとってエルビスの音楽は黒人音楽そのもので、サム・フィリップスが探していたのはそういうものだった。何回かのレコーディングの後、エルビスはギタリストのスコティ・ムーアとベースのビル・ブラックを含めた彼の新しいバンドでツアーを始めた。エルビスのステージはセンセーショナルなショーで、女性の観客を熱狂的にし、批評家を憤慨させた。彼のサンレコードからのレコードの売り上げはよく、彼が20歳のとき、それよりも大きいレコード会社が、彼の契約を売ってくれるようサム・フィリップスに近づいてきた。最終的にフィリップスは、エルビスの契約をRCAに40万ドルくらいで売った。結果的にエルビスのその後の人気を考えると40万ドルで売りさばいたのは大きな間違いだと思われるが、それによりサンレコードからのメジャーヒット、カール・パーキンスの「ブルー・スエード・シューズ」の資金を得ることとなる。エルビスは立て続けにレコードをリリースし、レコードを最も売り上げたスーパースターの一人となる。1977年42歳の若さで亡くなった。



サンレコードは数え切れないヒット曲をプロデュースし、1986年にはロックンロールで殿堂入りを果たした。2003年に他界した。

No comments:

Post a Comment